日本大百科全書の外山正一


 小学館日本大百科全書の電子ブック版を持っているのですが、明治時代の社会学者、東大総長、文部大臣の外山正一の項目で、こういう箇所にいきあたりました。

外山正一 とやままさかず (1848-1900) 明治期の学者、文化人。嘉永元年9月27日、静岡藩士の家に生まれる。幼名捨8、号ゝ山(チュザン)。


 「捨8」という超未来派の名前はもちろん「捨八」です。これは今回の本筋ではないのですが、困ったものですね。


 それはさておき、不思議なのは、

嘉永元年9月27日、静岡藩士の家に生まれる。


です。


 外山正一はもちろん幕臣です。御家人の子で、江戸小石川の生まれですね。


 ご存じの通り、そもそも静岡藩というのは明治維新後に、慶応4年8月に徳川家達(田安亀之助)を藩知事として立てられた藩で、嘉永元年には存在しません。


 外山正一は当然、この時から廃藩置県明治4年)までの間は「静岡藩士」だったわけです。


 しかしそれにしても「静岡藩士の家に生まれる」は変ですよね。


 ところが今、手元の辞書をいくつかひっくり返したところ、この記述のもとになったとおぼしい典拠を二つ発見しました。


 一つは山川出版社日本史小辞典。

とやままさかず 外山正一 1848〜1900 静岡出身の詩人・文学者・教育家。


 今ひとつは三省堂「コンサイス日本人名辞典」。

とやま まさかず 外山正一 1848〜1900(嘉永1〜明治33)明治時代の哲学者・教育者。(系)静岡藩士の子(生)江戸(名)幼名は捨八、号をゝ山(ちゅざん)仙士。


 なるほど発端は三省堂みたいですね。「(系)静岡藩士の子」は変だが「(生)江戸」は合っているわけですから。


 これはもしかすると、昔、天朝様の世であるから字引に「幕臣」などと書くのはおこがましい。すべて「静岡藩士」と書け、といったふうな香ばしい編集方針の人名辞典があって、その項目を下敷きにしたためにこういう変なことになったのかもしれません。


 事情に通じた方、どなたかいらっしゃいませんか。