B・H・リデル・ハート『戦略論』

 まず、B・H・リデル・ハートの『戦略論』を行きます。1971年に出た訳本です。こちらでは誹謗中傷は御法度なので、訳者名も出版社名も出しません。先のホームページで途中までやりかけたのでその箇所からになります。(私の持っているのは上下二巻です。その後合冊した一巻本が出たのを本屋で見たことがあるので、その時に少しは中身が直っているかも知れません)。

 この本は表向き一人の訳者がやったことになっていますが、たぶん自衛隊の幕僚のタマゴみたいな人たちが研究会のようなことをして、その副産物として出したのだと思います。当時彼らがいかに英語ができなかったかは、少し見ていくうちに明らかになっていきます。もっとも英語力なぞというものは、戦略眼・戦術眼とは全く関係ありませんから、今日の自衛隊の幕僚の力量について判断する根拠にはなりません。

[上巻84ページ]

【訳文】(パラグラフ始まり)マールバラはオランダ人らに対して激しい嫌悪感を抱いていたので、オランダ皇帝特使ウラスチスラウが今やマールバラの軍をダニューブ川方面へ転進させようと巧妙に主張するのに対してさらに疑惑の念を深めた。この嫌悪感と疑惑が結びついたところへ、マールバラの広い戦略的展望が働いて、歴史上最も驚くべき間接的アプローチの実例が生み出されたのである(パラグラフ続く)。

【原文】Marlborough's intense disgust with the Dutch made him the more susceptible to the arguments that Wratislaw, the Imperial envoy, now skilfully urged in favour of switching his forces to the Danube. The conjunction of these two influences produced in 1704 with the aid of Marlborough's broad strategic outlook, one of the most striking examples in history of the indirect approach...

【コメント】スペイン継承戦争、ブレンハイムの戦いの箇所です。「疑惑」なんだそうです。susceptibleとあるのを字引を引かずにsuspectfulと読んだわけです。「オランダ皇帝特使」というのはいったい何でしょうか。オランダが「帝国」だったことがありますか。「ウラティスラウ」なんていうスラブくさい名前のオランダ人がありますか。言うまでもなく「神聖ローマ皇帝(ヨーゼフ一世)」の使節なわけです。しかし総じていうと、この本の複数の訳者の中では、この章の訳者はましな方なのです。

【改訳案】マールバラはオランダ側に対して心底腹を立てていたので、このとき神聖ローマ皇帝使節ウラティスラウが、あなたの軍勢をドナウ川方面に転戦させて下さいと言葉巧みに持ちかけてきたのにあっさり応じてしまった。ところがそういう外部の事情に、マールバラの戦略的視野の広さが相まって、この1704年に、歴史上最もすばらしい間接的アプローチの事例のひとつが生まれたのである。