リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して厭みを言っています。

 スペイン継承戦争は前回で終わりなので、81〜91ページのマイナーな間違いの一部を指摘しておきます。次回からは七年戦争

  • 81ページ。「大君主国フランスの赫々たる不敗陸軍」。「大君主国」の原語はthe Grand Monarque [ital.]ですから「大君主国」ではなくて「大王」です。もちろんルイ十六世の美称。「赫々たる陸軍」は日本語として変ですね。
  • 82ページ。「ボーフル」の原語はBoufflersですから、たぶん「ブフレール」だと思います。
  • 同。「マールバラの目付役として彼についていたオランダ皇帝代理者らは」。原文はthe Dutch deputiesです。オランダに皇帝がいるわけがありません(ちなみに当時オランダはウィレム三世死後のいわゆるstadholderless periodで総督もいません)。私も今調べがつきませんが「従軍していたオランダ軍の連絡将校たちは」としておいてはどうでしょうか。
  • 同。「他方、マールバラはヴィルロワの率いるフランス軍主力に退却を許し」。「ヴィルロワの率いるフランス軍主力に退却を許し」の原語はgive Villeroi the slipですから「ヴィルロアを振り切り」です。
  • 83ページ。「スパールは勿論コホーンとは異なった牽制目的を持っていたのでコホーンに協力してもらう理由はなかったのである」。原語はwhich did not have the same distracting effectですから、「それではとても当初の予定どおりの攪乱効果をあげるにはいたらなかった」です。「スパールは勿論コホーンとは異なった」云々は全部こじつけです。
  • 同箇所の続き。「その上さらに、マールバラは北方へ転進を開始するに際して、ヴィルロワに退却させることに成功しなかったのである。そしてオプダムは危険を感じて過早に行動に移った」。この部分の原文は"And Opdam, to his danger, moved prematurely. Moreover, when Marlborough started on his switch-march to the north, he did not succeed in giving Villeroi the slip; ..."です。二つのセンテンスが前後逆転しているのです。校正をなおざりにした、というよりもこの前後の複雑な部隊移動が全然読めていないわけです。前と同じく「ヴィルロワに退却させること」は「ヴィルロワを振り切ること」の誤り。改訳案は「しかもオプダムは動くのが早すぎ、そのことで自軍を危険にさらした。そのうえ、マールバラは向きを変えて北へ進み始めたが、結局ヴィルロアを振り切ることはできなかった」。
  • 同箇所の続き。「実際のところ、ヴィルロワは、ボーフルに騎兵三十個中隊と騎乗擲弾兵三千をつけて先行させ、機動力においてマールバラを出し抜いた」。「騎乗擲弾兵」というものは、確かに国と時期によっては実在ましたが、ここではただの歩兵の「擲弾兵」です。原文は"with thirty of his squadrons and 3,000 grenadiers holding on to their stirrup leathers". したがって改訳案は「騎兵を三〇個大隊と、騎兵たちのアブミ皮にしがみつくようにしてついてきた擲弾兵三〇〇〇」。つまり、えり抜きの歩兵部隊が必死の強行軍をして騎兵部隊についてきたわけです。
  • 同じく83ページ。上段22行目の「攻撃」は「直接的攻撃」("direct"を訳し落とし)。下段15行目の「戦争を追い求めるならば」は「戦闘を追い求めるならば」。いずれも凡ミスです。
  • 84ページ。「そこからライン河とダニューブ河のなすデルタの底辺を横断してウルムに向かって前進した」。原文は"and thence marched across the base of the Rhine-Danube triangle towards Ulm." 原文が"triangle"なのに、なぜわざわざ「デルタ」と訳すんでしょうか。これでは、ライン川ドナウ川がどこかで合流して海に注ぎ三角州をなしていると読めてしまいます。「そこからライン河とダニューブ河のなす鋭角三角形の底辺を横切ってウルムに向かって前進した」。
  • 85ページ。「タラール元帥のフランス軍ライン川から東方へ行動するかも知れないので、ウルムはバヴァリアへの侵入を企図する上での貴重な地点であった」。「貴重な」と訳されている言葉は"precarious"。不注意にもほどがあります。改訳案は「バイエルンへの進入を試みるには危険な地点であった」。
  • 86ページ上段5行目。第一パラグラフ末尾に一文訳し落とし。"Criticism of his tactics here was all the more general since the decisive manoeuvre has been conducted by the Margrave." 「この戦闘でのマールバラの戦術についての悪評をさらにいっそう広めたのは、勝負を決定した部隊運動を指揮したのはかれではなくてバーデン辺境伯だったことであった。」
  • 87ページ下段12行目。「ユージーヌがさらに回りこんで敵の右翼を攻撃したが、二回にわたり撃退された」。あの狭いブレンハイムの戦場で、味方の右翼のオイゲンがどんなに「回りこん」だって敵の右翼を攻撃できるわけがありません。こうなると訳した人の戦術眼まで疑わしくなります。原文は"Eugene's attack further to the right was twice repulsed". 改訳案は「オイゲンがさらに右に寄った地点で仕掛けた攻撃も二度にわたって撃退された」。
  • 89ページ。「マールバラの率いる連合軍主力がモーゼル河流域を遡ってティオンヴィルまで前進することになり、またマーグレイヴ軍はザール地方を横断して分進合撃を行うことになっていた」。後半の原文は"and the Margrave's army would make a converging advance across the Saar". "the Saar"は「ザール地方」とも「ザール川」とも読めるわけですが、ここは「ザール川を横切って」にしておくのが無難ではないでしょうか。
  • 93ページ。「しかし、その二ヵ月後には彼は本国に召還されて地位を剥奪され、一七一二年には戦争疲れの英国は連合側から離れて独自で戦うことになった」。原文は"and in 1712 a war-weary England left her Allies to fight alone." もちろん「単独で戦う」のはEnglandではなくてher Alliesですね。「一七一二年には戦争に倦んだイギリスは単独講和を結び、同盟諸国はイギリス抜きで戦わねばならなくなった」。
  • 94ページ。「彼(マールバラ)は、軍事的牽制と政治的利益のために、地中海における長期作戦とフランダースの自ら行なう作戦とを連絡して実施していた」。「長期作戦」の原語はlong-range operationsで、訳すなら「遠隔作戦」でしょうね。