リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して嫌味を言っています。今回から七年戦争です。

 今回からは、マイナーな間違いをまとめて指摘するのではなく、メジャーな間違いの前に適宜くっつけて出します。

  • 94ページ。「オーストリア継承戦争にはっきりした決着がつかなかったことを最もよく表現していると思われるのは、当時軍事的には最も成功した国であるフランスでさえも市民の間でいけ好かない人間に対して「おまえは平和の女神のような愚物だ」という文句が同戦争の余波として使われた事実である」。せりふの原文は'you are as stupid as the Peace.' the Peaceはこの場合は平和の女神ではなくて講和条約ですね。改訳案は「おめえは先だっての講和条約みてえなとんちきだ」。
  • 96ページ。「フランスの地方的災害によってフランスの攻撃力が間接的な挫折を喫していたこと」。102ページで指摘する予定の"colonial disasters"を「地方的災害」と訳している箇所はここが初出でした。

[上巻96ページ]

【訳文】(パラグラフ途中)この行動の指揮にあたったウルフに対して公平な見方をとれば、各種の囮行動―(列挙略)―がフランス軍をその堅固な陣地から誘出するのに失敗していた矢先であり、ウルフはこの直接的アプローチに出ることを諦めていたばかりの時期であったことを指摘しておかなければならない。…(パラグラフ続く)

【原文】... In justice to Wolfe,it must be pointed out that he only resigned himself to this direct approach after various baits ... had failed to lure the French from their strong position. ...

【コメント】1759年、ケベック陥落です。フランス軍ケベックの東でセントローレンス川に注ぐモンモランシー川の線を守って、ウルフ将軍が様々なおとり作戦を展開してもとうとう出てきません。ついにウルフはモンモランシー川の線に正面攻撃をかけて大損害を受けて撃退された、という事情を述べている箇所です。「直接的アプローチに出ることを諦めていた」はresign oneself toの訳しそこないですね。

【改訳案】ウルフに対して公平であろうとするなら以下の点を斟酌しなくてはならない。すなわち、かれがついに望みを絶っていちかばちかこの直接的アプローチに身を投じたのは、様々なおとり作戦をやってみたにもかかわらずどうしてもフランス軍をその堅固な陣地からおびき出せなかった、その後だということである。