リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して嫌味を言っています。

  • 107ページ。「ジュールダンの軍は…ナムール河の線に達したが」。ナミュールはムーズ川とサンブル川の合流点にある町で、「ナミュール川」というのは寡聞にして聞いたことがないですね。原文を見ると"Reaching Namur"。theなんてついてないじゃん。改訳案は「ナミュールに達したが」。

[上巻109ページ]

【訳文】(パラグラフ途中)ボナパルトの計画は、まずその山地を越える二つの分進合撃の進路をセヴァ要塞のある地点に打開し、こうしてピエドモントに進入するための関門を獲得した後、チューリンへ前進してその脅威によりピエドモント政府に対し単独講和を強いようとするにあった。(パラグラフ続く)

【原文】... Bonaparte's plan was to make two converging thrusts across the mountains at the fortress of Ceva, and having gained this gateway into Piedmont, to frighten her government into a separate peace by the threat of his advance on Turin. ...

【コメント】1796年、第一次イタリア遠征です。ナポレオンはリヴィエラ海岸からピエモンテへ攻め入ろうとしています。ここはいわゆる誤訳ではなく、convergingであれば機械的に「分進合撃」と訳す態度を問題にしたいと思います。convergeは「(複数の線が)一点に集まる、収束する」というだけの意味で、確かにちょうどこの語に相当する日本語はないので訳すとなると苦しいのですが、「手前では分かれているが先へ行って一点で落ち合う」という意味が正確に出せればわざわざ「分進合撃」などという四字成語を無理に出す必要はないと思います。

【改訳案】ボナパルトの計画は、二手に分かれ、それぞれ山を越えてチェヴァの要塞において合流する二筋の線に沿って押していき、そしてピエモンテへの玄関にあたるこの要塞を手に入れたならば、今度はトリノを目指して前進するぞと脅しをかけてピエモンテ政府を震え上がらせ、単独講和にもちこむことにあった。