リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して嫌味を言っています。

[上巻111ページ]

【訳文】ボナパルトの第一回のイタリア・キャンペーンは、これまで一世紀にわたって攻勢行動(複)の勝利の叙事詩として謳い上げられ、それによればボナパルトは自らに恵まれた好運と同様に勇敢さを持って攻撃に継ぐ攻撃を行ったので、ひじょうに容易にイタリアを征服し得たように記述されてきたことを私は取上げたい誘惑に駆られるように思う。

【原文】For a century the first campaign in Italy has been described---I am almost tempted to say, sung---as a triumphant epic of offensive movements, according to which Bonaparte conquered Italy so easily because he followed up attack with attack, with a boldness that was equal to his good luck.

【コメント】イタリアの歴史家フェレロからの引用。「私は取上げたい誘惑に駆られるように思う」なんて、あんたは井伏鱒二か、と思わず突っ込みを入れてしまいます。べつだん韜晦したい事情があるわけではなく、要するに二本のダッシュの間の挿入句が読めていないわけです。この箇所では「かれのまぐれ当たりの好運さの度合と匹敵」に籠められた皮肉を日本の読者にも伝えなくてはなりません。下の改訳案ではもなお踏み込みが足りないかも知れませんね。

【改訳案】これまで一世紀にわたって、ボナパルトの第一回イタリア・キャンペーンは、攻勢的行動の勝利として描かれてきた(むしろ、叙事詩として謳い上げられてきた、と言いたいくらいである)。つまりそれによれば、ボナパルトがイタリアをあれほどにやすやすと攻略できたのは、かれのまぐれ当たりの好運さの度合と匹敵するくらいの大胆不敵さをもって攻撃に継ぐ攻撃をしかけたからだ、というのである。