リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して嫌味を言っています。

  • 114ページ。「フランス軍主力はまだラインから数マイル踏込んだだけであるにもかかわらず、この内門に対する脅威はオーストリアから講和をもぎ取ったのである」。原文は、"This threat wrung peace from Austria while the main French armies were still but a few miles beyond the Rhine." beyondはオーストリア軍から見てですね。改訳案は「フランス軍主力はまだ、あとほんの数マイルとはいえライン川の彼方にいたのに」。

[上巻114ページ]

【訳文】(パラグラフ途中)その代りに彼は、自らの行った間接的アプローチのうちでも最も放胆な企図を計画した―それはイタリアにおけるオーストリア軍の背後を目指してすばらしく大きな旋回機動を行うことであった。この大旋回機動に比較すると、フランスの派遣している小さな「イタリア方面の軍」はほとんどフランス国境に接近し、イタリアの西北部に固着するものであった。(パラグラフ続く)

【原文】... Instead, he planned the boldest of all his indirect approaches---a swoop along an immense arc onto the rear of the Austrian army in Italy. This had driven the small French 'Army of Italy' back almost to the French frontier and penned it into the north-westcorner of Italy. ...

【コメント】1800年です。第一統領となったナポレオンはディジョンで一個軍団を編成したが、それをライン川戦線に投入することはしなかった、という箇所です。引用箇所第二センテンスの主語"This"という代名詞はもちろん"Austrian army of Italy"を指すのですが、それが読めなかった(ついでに言うと過去完了時制も読めていません)ために、「この大旋回機動に比較すると」というこじつけが必要になり、以下このセンテンスは全滅です。French 'Army of Italy'の括弧の皮肉も訳して欲しいところです。

【改訳案】その代わりに彼は、かれが生涯に行ったあらゆる間接的アプローチのうち最も大胆不敵なそれを計画した。巨大な円弧を描いてオーストリアのイタリア派遣軍の背後に回りこもうというのである。このときすでにこのオーストリア軍は、フランスの「イタリア派遣軍」とは名ばかりの小軍団を、ほとんどフランスとの国境際まで追い立てて、イタリアの西北の片隅に封じ込めてしまっていた。