リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して嫌味を言っています。

[上巻113ページ]

【訳文】(パラグラフ途中)しかしこの機動は、ヴェロナにおいてオーストリアの両軍が彼の軍を粉砕しようとしていた計画を覆してしまった。アルヴィンツィ軍がボナパルト軍に遭遇するため急行していた一方、ダヴィドヴィッチ軍は消極的にとどまっていた。たとえそういう状況であるにしてもアルヴィンツィの優勢な軍を圧倒することは困難であろうとボナパルトは考えていた。(パラグラフ続く)

【原文】... but it [his manoeuvre] upset the enemy's plan of closing their jaws on his army, supposed to be at Verona. While Alvintzi wheeled to meet him, Davidovich remained inactive. Even so Bonaparte found it hard to overcome Alvintzi's superior numbers. ...

【コメント】まだ1796年です。オーストリアの二つの軍団が東西からヴェロナにいるナポレオンに迫ります。ナポレオンは東から来るアルヴィンツィを迎え撃ちますが負けてしまいます。しかし負けたナポレオンはヴェロナに引き返すのではなく、アルヴィンツィ軍の左翼を南に大きく迂回する機動を起こした、という箇所です。「粉砕」は"closing their jaws on"の訳としてはやや不足で、「挟撃(pincer attack)をかける」という意味を出さないといけません。「急行していた」は"wheeled"の訳としてはまったく不足で、「向きを変えて進む」でなくてはいけません。最後の「考えていた」は"found"のこういう使い方が読めていないので、正しくは「戦ってみたら〜とわかった」です。つまり引用文の第三センテンスではもうアルコラの戦いが始まっているのです。

【改訳案】しかしこの機動は、ボナパルト軍がヴェロナにいるものと想定して、そこへ東西から挟撃をかけようとしていた敵の計画を覆してしまった。アルヴィンツィ軍は向きを変えてボナパルトを追ったが、ダヴィドヴィッチ軍はなお動きが鈍かった。挟撃だけは免れたものの、ボナパルトがいざアルヴィンツィと戦ってみると、数において勝るこの敵を圧倒するのは容易ではないとわかった。