リデル・ハート『戦略論』の翻訳いじり(続き)

 引き続き、リデル・ハート『戦略論』の訳本(1971年刊)を回顧して嫌味を言っています。

  • 115ページ。「かれはミラノにおいてオーストリア軍の二軍のうちの一方に対する退路遮断を行ない、次にはその遮断線をポー河の南側からストラデラ河の隘路にまで拡大して他の一軍の退路をも遮断した」。原文は、"At Milan he had barred one of the two Austrian routes of retreat, and now, extended his barrage south of the Po to the Stradella defile, he also blocked the other." まず明らかに「オーストリア軍の二軍のうちの一方に対する退路遮断」ではないですね。オーストリア軍は一つでその退路が二つあるのです。「ストラデラ河」という河はありません。地図を一目見ればわかりますが、ストラデッラという町のところでポー河の南にアペニン山脈が最接近している、この地形を「ストラデッラ隘路」というわけです。過去完了も訳せていません。改訳案は「かれはミラノにいることですでにオーストリア軍の二つある退路のうちの一つを遮断してあった。そして今度は、味方の遮断線をポー河南岸のストラデッラ隘路まで伸ばしたことで、もうひとつの退路をも封じてしまった」。