リデル・ハート『第二次世界大戦』の地図


 1999年に再刊行されたリデル・ハート第二次世界大戦』は丁寧な作りの本で好感が持てるが、ただひとつ、原著の地図を作り直した仕方が、本文をかえって読みにくくしています。


 原著には、すべてCopyright(c)Cassell & Co. Ltd. 1970とクレジットがついた地図が載っています。白抜きの文字など、かなり読みにくくなっています。


 そこで、1999年の訳本は、地図を全部作り直してあります(元版のフジ出版社の処置は知りません)。


 ところが、その地図が、もとの地図とも、テキストとも、何の関係もない、ただその章で扱われている作戦について新しく引き直した地図なのです。


 たとえば第七章、フランス陥落のくだり、原著の地図は二枚あります。一枚目はドイツ軍のベルギー侵攻を、二枚目は縮尺を落として、ベルギーからフランスへの侵攻を示しています。


 1999年の訳本では、まず120〜121ページの見開きに「黄色計画の変遷」と題する四枚の地図が載っています。ドイツ軍のベルギー侵攻計画の変遷を示したもので、原著にはありません。原著のテキストとも何の関係もありません。しかも、原著にはこの図はないですよとことわったキャプションもありません。


 一枚目の地図を作り直したものは129ページに載ってます。


 原本の地図を見るとまず気がつくのは、リデル・ハートのテキスト通りに、ルクセンブルク国境沿いに南から、第十九装甲軍団グーデリアン)、第四十一装甲軍団(ラインハルト)、第十五装甲軍団(ホート)の三個だけが示されていることです。テキストにはこの点に関することわり書きがあって、

しかしルクセンブルク国境にあった装甲師団七個は、アルデンヌ突入に満を持していたドイツ軍部隊のうちのごく一部だった。全部で実に約五〇個師団が、きわめて狭い前線にびっしりと詰め込まれていたのである。


としてあります。つまり、地図にはこの三個軍団しか示さないが、これは主題を明確化するために状況を単純化して示したものであって、本当はこれ以外にも何個師団もいるんですよ、というわけです。


 ところが1999年の訳本の地図ではどうなっているでしょうか。


 この三個装甲軍団の姿はどこにも見えません。そのかわり南から第十六軍団、第十二軍団、第二軍団、第四軍団など、わざわざリデル・ハートが主題を明確化するために画面から消した部隊だけが示されているのです。


 この点にとどまりません。要するにこの地図は、原図とはまったく別物です。テキストとはまったく無関係な、どこかよそからもってきたものにすぎないのです。


 なんという無茶なことをするのか。


 原著の地図には、リデル・ハート自身の意思が貫かれています。神経が隅々まで通っています。おそらくリデル・ハート自身が、テキストを書き進めながら、自分の手でラフ・スケッチを描いたか、そうでなくても校正刷りにびっしりと朱を入れたはずです。


 テキストでは省略された人名・地名が地図では補われ、地図で省略された状況がテキストで補われ、両者相まってひとつの叙述を提供しているのです。地図上の矢印一本と、テキストの一センテンスが完全に一対一対応をしているといってもいい。


 開いた口がふさがらないとしか言いようがありません。


 この箇所にはまた、言語道断なテキスト改竄不必要な注があります。この点はまた稿を改めて。