リデル・ハート『第二次世界大戦』の不必要な注について


 次へ行きましょう。62ページ冒頭のパラグラフの中程。

北方では、(クルーゲの第四軍麾下)グデーリアン装甲軍団(第一九自動車化軍団)[*3]〈キュヒラー軍の先鋒〉がナレフを渡河し、ワルシャワ後方ブーク川の布陣に攻撃を加えていた。

In the north Guderian's armoured corps (the spearhead of Kuchler's army) had pushed across the Narev and was attacking the line of the Bug, in rear of Warsaw.


 簡潔な原文に比べて、括弧が三つもある訳文の字面の汚さはどうでしょうか。


 ちなみにいうと、原本の地図にはナレフ川もブーク川もちゃんと示されていますが、訳本の地図にはどちらも出ていません。


 さて、「訳者および編集部」が「(第一九自動車化軍団)」を補った理由は注3に記されており、前回と同じです。要するにグデーリアン電撃戦』には「第一九軍団」としか書いてない、というのです。私が不必要だと思う理由も前回と同じです。


 ここで問題はもうひとつの補足「(クルーゲの第四軍麾下)」の方ですね。


 この挿入句があるために、この箇所の事情は読者にとっては何が何だかわからなくなっています。クルーゲの第四軍(ポンメルンにいた)の麾下に属するグデーリアンが、どうしてキュヒラーの第三軍(東プロイセンにいた)の先鋒をつとめることになったのか。


 Answers.comに載っていた詳しい地図を見るとこの疑問は氷解します。たしかに開戦前の戦闘序列ではグデーリアン軍団は第四軍に属しポンメルンにいたのです。しかし開戦後、ただちにグダニスク回廊を押し渡って東プロイセンに入りました。そして、何しろ足の速い軍団ですから、たちまち東プロイセンをも西から東へ突き抜け、ナレフ川を渡るときにはキュヒラーの第三軍を追い越して先頭に立っていたのですね。


 極端に減量した『第二次世界大戦』の叙述では、とてもこういう複雑な事情を記しているスペースがありません。それに、第三軍と第四軍はこの方面では共同作戦をとったわけで、グデーリアン軍団の本籍がどちらであるかという情報は、ことの本質には関わりがないトリビアに属します。したがってここでは、リデル・ハートはあえてグデーリアン軍団の本籍を伏せて、読者に無用の混乱を与えないようにしているのです。こういう性格の本では、当然そういう技もまた著者には許されます。


 原著者が叙述の都合からあえて伏せた情報をわざわざ復活させて、読者に無用の混乱を起こさせているのですから、「訳者および編集部」の処置の愚かしさは指摘するまでもありません。


 とにかくこの本を読むときには、丸括弧とその中身は見ないようにして読むのがこつだ、ということになるでしょうか。