リデル・ハート『第二次世界大戦』の不必要な注について


 もう止めるつもりだったが、始めるときりがありません。126ページ、ドイツ軍のベルギー侵攻のくだり。

次いでヘーブナーの〈第一六軍団麾下の〉二個師団〈第三および第四装甲師団〉[*8]が、爆破を免れた橋を押し渡り前方の平地へと展開した。装甲師団破竹の進撃は、ベルギー軍の総退却のきっかけとなった。……おりしも英仏軍が急遽救援に到来しつつあった。

Then Hoppner's two panzer divisions (the 3rd and 4th) drove over the undemolished bridges and spread over the plains beyond. Their onsweeping drive caused the Belgian forces to start a general retreat --- just as the French and British were arriving to support them.


 ほーら「〈……〉」は原著者の括弧なんていう約束、守れやしないじゃないですか。「〈第一六軍団麾下の〉」は原文にはないので丸括弧にしなくてはならないはずです。いや、あっさりと「ヘーブナー麾下の(あるいは、ヘーブナー軍団に属する)二個装甲師団」とすれば、ここに注をつける必要はひとつもありません。


 注8がまた前と同じようなしょうもないことを言っています。グーデリアン電撃戦』に載っている開戦前の戦闘序列によれば、第三装甲師団はヘーブナー軍団に属していたけれども、第四装甲師団はシュヴェードラー麾下の第四軍団に属していたのだから、リデル・ハートのこの記述は間違いだ、というのです。

第四装甲師団が第一六軍団の指揮[下]に入ったのは、英軍のダンケルクの撤退の後で行われた編成替え後(六月初め)のはずである。


 「はずである」んだそうです。つまり、ウラもとらないで注をつけたわけです。「訳者および編集部」の戦争観では、開戦前の戦闘序列というものは何だか神聖なもので、戦闘のどさくさの間に臨機応変に編成替えするなど言語道断で、戦争が一段落するまで待たなくてはならないものらしいです。


 第一六軍団の第三師団が橋を渡った、渡り終わって橋が空いた、引き続き隣の戦線を受け持つ第四軍団から第四師団を引き抜いて同じ橋を渡れ、というときに、第四師団の指揮権を第四軍団から第一六軍団に移すくらいの編成替えは、すでに無線電信も発達しているこの当時にあってはごく自然な気がしますがいかがでしょうか。


 そうとすれば、ここでの本筋は、二個装甲師団が橋を渡った、という事実です。そのうち一個師団が、開戦前の戦闘序列では別軍団に属していた、というのは、この本の圧縮に圧縮を重ねた叙述の次元においてはトリビアでしかありません。

 何だか事大主義のようでいやだったが、ここまでくるとこの質問をせざるを得ません。リデル・ハートグデーリアン回顧録の英語版「Panzer Leader」に序文を寄せているくらいグデーリアンを高く評価している人です。グデーリアン教の教祖だ、といってもいいくらいです。そう言う人が、グデーリアン回顧録をちゃんと読んでいないなんて、「訳者および編集部」は本気で信じているんでしょうか。


 最後の「おりしも英仏軍が急遽救援に到来しつつあった」は準誤訳です。前とのつながりはここは逆説でしょう。「まさにこの時、英仏軍が救援に駆けつけつつあったのに」。