映画「ペリカン文書」のニューオリンズ


 映画「ペリカン文書」(1993年)をつい先頃DVDで見ました。原作を読まずに見たのですが、自分自身に対してちょっと恥ずかしい思いをしました。


 わたくしはどんなフィクションでも、その舞台がどこかわからないと筋に入り込めないという性癖があります。ところが「ペリカン文書」の場合、映画がかなり進むまで、ジュリア・ロバーツがいる町がどこだかわからなかったのです。


 そもそも最初のうちは、ジュリア・ロバーツも謀略の現場であるワシントンDCの、たとえばジョージタウン大学あたりにいるのだと思っていました。


 話が進んで、恋人の車が爆発するあたりの町の古めかしさで、あれあれ、これは変だぞ、と思い始め、町の通りに人が充満してお祭り騒ぎをしている場面にいたって、これはぜんぜんワシントンDCではないぞ、と悟りました。


 アメリカ人だと、たぶんこの場面で、町はニューオリンズのフレンチ・クォーターでお祭りはマルディ・グラだ、と、一目瞭然となるのでしょうが、わたくしは(ニューヨークくらいしか行ったことがないし)、もっとずっと先でせりふに町の名前が出てくるまで、そうとはわかりませんでした。


 しかし、このお祭りの場面より前では、いくらアメリカ人でも、ニューオリンズだとわかる手がかりがあるんでしょうか。わたくしは最初から倍速で見直してみましたが、大学の教室なんてどこでも同じだし、せいぜい鉄格子のあるバルコニーくらいしか目にとまりませんでした。


 かといって、あそこまで舞台がどこだか伏せておく作劇上の理由もないような気がするし、何だか釈然としない思いです。


 別の話。ニューオリンズを舞台にした代表的映画といえば「キャット・ピープル」(1982年)ですが(そうか?)、あの映画でナスターシャ・キンスキーに惚れられるかっこいい動物園長をやっていたジョン・ハードが、「ペリカン文書」では同一人物とは思えないほど丸顔になってFBIの法律顧問をやっていました。

『ベルセルク』19巻の「まぐわる」


 『ベルセルク』は単行本がまとまるごとに楽しく読んでいます。以下は、19巻のある箇所の言葉づかいについての話です。


 あのマンガはほぼ全ページが裁ち切りなのでページ数を示してもあまり意味がありません。「野望少年」の回の黒ミサの場面で祭司のせりふ。

そしてその後魔女殿には…この雄山羊様とまぐわり我らの真の家族となっていただく


 続いて「再会」の回、雄山羊様のせりふ。

渡さない/魔女…/まぐわる/オレの…


 この「まぐわる」というのはもちろん誤用なのですが、どう直せばいいか、となるとなかなか難問です。


 「まぐわる」はここだけでなく、どこか他でも見たことがある(メモをとっておきませんでした、残念)ので、ちょっと腰を据えて考えてみます。


 まず、三省堂大辞林 第二版』を見ますと、名詞「まぐわい」の項目があります。

まぐわい ―ぐはひ【目▽合ひ】(名)スル
(1)目を見合わせて愛情を通わせること。めくばせ。「―して相婚(あ)ひたまひて/古事記(上訓)」
(2)情交。性交。「唯その弟(おと)、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を留めて一宿(ひとよ)―したまひき/古事記(上訓)」


 つまり「まぐわい」は名詞であるが、ただし「××をスル」だけでなく「××スル」をも認める、というわけです。これに従えば『ベルセルク』のせりふはそれぞれ、「この雄山羊様とまぐわいし」(あるいは祭司のせりふですからもったいをつけて「まぐわいなし」「まぐわいをなし」)、「(魔女と)まぐわいする」が正しいということになります。


 広辞苑も、三省堂の例解古語辞典も同じで、まあこのへんが順当なのですが、ところが、私の机のまわりに、ただひとつ反旗をひるがえしている字引があります。三省堂国語辞典(第五版)がそれです。

まぐわい マグハヒ(名)〔文〕男女のまじわり。[動]まぐわう(自五)。


 つまり、独立項目にこそ立てていないが、ワ行五段活用の自動詞「まぐわう」を認めちゃっているわけです。これだと『ベルセルク』のせりふは、「雄山羊様とまぐわい」「(魔女と)まぐわう」でも正しいことになります。


 しかしワ行五段活用の口語自動詞「まぐわう(マグハフ)」を認めちゃいますかあ?


 「まぐわう」だけならそんなにおかしくないが、活用させるとえらいことになりますよ。まぐわわない、まぐわいます、まぐわう、まぐわうとき、まぐわえば、まぐわえ、まぐわおう、ですぜ(ワープロを打っていて、オレは何をやっているんだ、と今更ながら後悔する)。


 文語(ハ行四段活用)だと、マグハハズ、マグハヒテ、マグハフ、マグハフトキ、マグハヘバ、マグハヘ、ですが、これだっておかしい。


 そもそも「マグハヒ」は上代語で、この間買ったちくま文庫の『言海』によると語源は「目交合(マクヒアヒ)の約と云ふ」(「クヒ」は「カヒ(交ひ)」の古形だというんでしょうね)なんて書いてあり、「合ふ」という動詞に発していることは間違いないが、とにかく上代からこの言葉は名詞なんです。


 たとえば「目くばせする」を「目くばせる」「目くばす」とは言わないでしょう。「物まねする」を「ものまねる」「ものまぬ」とは言わないでしょう。「無理強いする」を「無理じいる」「無理じふ」とは言わないでしょう。


 ただ三国(三省堂『国語辞典』の略)の怖いところは、見坊豪紀の厖大な用例カードに基づいていることです。たぶん動詞「まぐわう」の用例は実在するんだと思います。


 ただし、それはおそらく江戸以前の用例ではない。想像するに、柴田錬三郎あたりの、戦後の時代小説なんじゃないでしょうか。


 さらにいえば、この新しい擬古適用法としての「まぐわう」はえらく露骨な言い方にきこえますが、言うまでもなく「マグハヒスル」は上代から婉曲で上品な言い方なんですね。


 結論から言うと、祭司のせりふは「まぐわいをなし」で可、雄山羊様のせりふは三国だけが認める新しい擬古的用法としての「まぐわう」で辛うじて可、というところでしょうか。


 あまり自信がないので、反論を歓迎します。

日本大百科全書の外山正一


 小学館日本大百科全書の電子ブック版を持っているのですが、明治時代の社会学者、東大総長、文部大臣の外山正一の項目で、こういう箇所にいきあたりました。

外山正一 とやままさかず (1848-1900) 明治期の学者、文化人。嘉永元年9月27日、静岡藩士の家に生まれる。幼名捨8、号ゝ山(チュザン)。


 「捨8」という超未来派の名前はもちろん「捨八」です。これは今回の本筋ではないのですが、困ったものですね。


 それはさておき、不思議なのは、

嘉永元年9月27日、静岡藩士の家に生まれる。


です。


 外山正一はもちろん幕臣です。御家人の子で、江戸小石川の生まれですね。


 ご存じの通り、そもそも静岡藩というのは明治維新後に、慶応4年8月に徳川家達(田安亀之助)を藩知事として立てられた藩で、嘉永元年には存在しません。


 外山正一は当然、この時から廃藩置県明治4年)までの間は「静岡藩士」だったわけです。


 しかしそれにしても「静岡藩士の家に生まれる」は変ですよね。


 ところが今、手元の辞書をいくつかひっくり返したところ、この記述のもとになったとおぼしい典拠を二つ発見しました。


 一つは山川出版社日本史小辞典。

とやままさかず 外山正一 1848〜1900 静岡出身の詩人・文学者・教育家。


 今ひとつは三省堂「コンサイス日本人名辞典」。

とやま まさかず 外山正一 1848〜1900(嘉永1〜明治33)明治時代の哲学者・教育者。(系)静岡藩士の子(生)江戸(名)幼名は捨八、号をゝ山(ちゅざん)仙士。


 なるほど発端は三省堂みたいですね。「(系)静岡藩士の子」は変だが「(生)江戸」は合っているわけですから。


 これはもしかすると、昔、天朝様の世であるから字引に「幕臣」などと書くのはおこがましい。すべて「静岡藩士」と書け、といったふうな香ばしい編集方針の人名辞典があって、その項目を下敷きにしたためにこういう変なことになったのかもしれません。


 事情に通じた方、どなたかいらっしゃいませんか。

マンガ喫茶の将来


 ビジネスの話。


 間もなく、マンガを読む習慣のあるいちばん年長の世代が、50台半ばに達して定年を迎えます。


 これから、マンガ喫茶は、一大産業になるのではないでしょうか。


 忙しいさかりの私だって、暇があったら入りびたって「MONSTER」全巻を読んでみたいと思うくらいですから。

岩波文庫の斎藤茂吉


 『斎藤茂吉歌集』(山口茂吉・芝生田稔・佐藤佐太郎編、第22刷改版、1978年9月18日)のことです。


 現役の版です。いま現在書店に並んでいます。


 この文庫のページづら、つまり活字の組み方が根っから気に入りません。


 どう組んであるかというと、一ページに十三首入っているのはいいとして、字間を全く空けずに、散文と全く同じ組み方で組んであるのです。


 しかも、その活字は、当時出た岩波文庫はたいていそれであった、あの精興社の上下に平べったい感じのする活字です(新書版の漱石全集の活字、と言った方がわかりやすいでしょうか)。


 このやり方で短歌を組むと、ページは上と下が真っ白に空いて、その間に黒い帯を横たえたように歌が並んでいる感じになります。


 歌なんて読んだこともない編集者の仕事に違いない、と思うしかありません。


 歌には調べというものがあります。言葉が演奏する音楽ですね。言葉を配列して、それを読みくだすだけで、メロディーとリズムが鳴りわたるのです。茂吉の歌なんて、極論すれば調べだけでもっているようなものです。


 音楽は時間の芸術です。調べが鳴りわたるためには、一定の時間をかけて読み下さなくてはなりません。


 1978年第22冊改版の『斎藤茂吉歌集』の組み方では、そういう読み方ができません。ひとつひとつの歌は上下の白い空間に圧迫されて、真ん中にちぢこまっています。ゆっくり読んで調べを味わいたくても、一瞬で上から下まで読めてしまいます。


 この第22刷改版は、1958年9月5日第1刷の旧字・旧仮名の元版を、新字・旧仮名に組み直したものです。私は古本屋で元版を手に入れて愛蔵しています。


 この元版は、ちゃんと歌がわかる編集者の仕事で、一ページに十三首入っている点、精興社の活字である点は同じでも(ポイントもどうやら同じ)、字間を少し空けて組んであります。


 具体的には、

最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

の歌を物差しではかってみると、新版では7センチ1ミリ半であるのが、元版では8センチ7ミリ半です。22パーセント増にあたります。


 これならばゆっくりと読むことが可能です。


 たぶん改版にあたった編集者(新版のあとがきには誰と誰だか実名が挙がっているのでちょっと気の毒なのですが)は、これだと何だか古くさい、とくに縦方向に比べて、横方向がちょっと窮屈な感じがすると思って、ああいう改悪をしたのではないでしょうか。


 さて、昨日、大型書店の岩波文庫の棚の前に立って、近代短歌の歌集をいくつか手にとってみました。


 1950年代くらいに刊行されて改版されていないもの(吉井勇歌集など)は、1958年元版と同じ組み方です。


 これに対して、1980年代以降の新刊(与謝野晶子歌集など)や改版(『赤光』など)は、大きな活字(精興社ではない)を使って、ゆったりと組んであります。おそらく活版からオフセットになったせいもあるのでしょう。


 今もってああいう珍妙な扱いをされているのは、どうやら『斎藤茂吉歌集』だけみたいです。


 私は1958年元版を古本屋で二冊買って愛読しているのですが、インクが薄くなり紙が茶色くなっているため、よほど明るいところでないと老眼には辛いです。しかもいささか紙質が悪くて、ポストイットを貼ってはがすと、ページそのものの表面が活字ごとべろっとはがれてきたりします。


 1958年元版の紙型が残っていたら、リクエスト復刊してくれないかなあ、と思う昨今であります。

内田百間の岩波文庫

『東京日記他六篇』(1992年7月16日刊)のことです。

 目次は次のようになっています。

  白猫(昭和9年

  長春香(昭和10年

  柳検校の小閑(昭和15年

  青炎抄(昭和12年

  東京日記(昭和13年

  南山寿(昭和14年

  サラサーテの盤(昭和23年)

 すぐに気づくことは、全体は年代順なのに、「柳検校の小閑」だけが、定位置から三つ繰り上がっていることです。

 編集者の意図は明らかで、百間読者ならご存じの通り、その前の「長春香」の関連作品だからですね。

 しかしちょっと待ってもらいたい。岩波文庫の読者って、みんなそんな文学部で勉強するような態度で読む読者ばかりなのかしら。

 「関連作品」といえばもっともらしいが、普通の読者にとってみれば、せっかく秘術を尽くして構成してある「柳検校の小閑」が、ネタバレになっちゃっている、ということですよね。

 そもそも、何で創作ばかり集めてあるこの集に、随筆の「長春香」を入れるのか、「関連作品」だからわざわざ入れたのか。

 いずれにしても、小説をあまり愉しんで読まない人が編集した本のようです。